「常識」という檻を越えて──創作における偏見と自由の話
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。」
— アルベルト・アインシュタイン
この言葉を初めて読んだとき、まるで頭を殴られたような衝撃を受けました。
同時に、何かがスッと腑に落ちた感覚もありました。
私たちは生まれてから、家庭、学校、社会という環境の中で「常識」を教え込まれます。「男の子なんだからこうしなさい」「女の子なんだからこうあるべき」「いい大学に行くことが幸せへの近道」「将来のために安定した職業に就きなさい」──そんな“当たり前”の数々は、疑うことを許されないルールとして私たちの中に積み上がっていきます。
でも、それって本当に「真実」なんでしょうか?
今日は、「常識=偏見」という視点から、創作──小説、絵、音楽、映画、アニメなど、私たちが愛してやまない世界──を改めて見つめ直してみたいと思います。
そこには、「常識」を破ることでこそ生まれる創造の輝きが、確かに存在するのです。
■ 常識という名の「型」
創作を始めたばかりの頃、多くの人がまず学ぶのは“型”です。
小説でいえば「起承転結」、イラストでいえば「構図」、音楽でいえば「コード進行」や「メロディの展開」。確かにそれらは、過去の偉大な創作者たちが磨き上げてきた、創作の“基礎”です。
だけど、この“型”がいつの間にか“常識”に変わってしまうと、とたんに自由が奪われてしまいます。
「キャラクターは共感されるべき」「バッドエンドはウケない」「展開が遅いと読者が離れる」「商業的に成功するにはこうしなければならない」──
そんな“常識”が、作品の可能性を狭めてしまっていることって、実はすごく多いんです。
でも、創作の本質って「常識の外側」にこそあるんじゃないでしょうか?
■ 偏見が世界を狭めるとき
「こんなキャラ、現実にはいないよ」
「その展開はご都合主義すぎ」
「もっとリアルに描写してくれないと感情移入できない」
──ネットやSNSで、こういう言葉を見かけたこと、ありませんか?
もちろん、読者や視聴者の感想は自由ですし、作品への厳しい指摘が作品を磨くこともあります。でも、その一方で、「リアルさ」や「共感性」が重視されすぎるあまり、作家が描きたい“非現実”が否定されてしまう場面も増えているように思います。
現実にはいない?
それこそが創作の醍醐味でしょう?
“ありえない”があるからこそ、作品は輝くのです。
もし常に「現実的で共感されるもの」しか描けないのだとしたら、ファンタジーもSFもホラーもサイコスリラーも、ほとんどのジャンルは成立しなくなってしまいます。
私たちの中にある「これはダメ」「これはおかしい」という感覚──それは「常識」という名前の偏見にすぎません。
その偏見が、作品の中の無限の可能性を「これはアリ」「これはナシ」という二元論で切り捨ててしまっているのだとしたら、なんとも悲しいことです。
■ 「型破り」は「型」を知ってこそ
ここまで「常識」や「偏見」を批判するようなことを書いてきましたが、もちろん“基礎”や“型”を学ぶことはとても大切です。
イラストを描くにしても、パースや人体構造を理解していないと、違和感のない絵は描けません。小説にしても、文法や文体、読点の打ち方、台詞と地の文のバランスなど、基礎力がなければ読者に伝わる文章にはなりません。
だからこそ、型は大事。
でも、もっと大事なのは、「型に縛られない勇気」だと思うのです。
例えば、小説の地の文を全部詩のように書いたっていいし、構成をめちゃくちゃにして時系列がバラバラでも、そこに意味があれば“アリ”です。
現に、村上春樹だって、時系列が交差するような手法を取り入れていますし、伊藤計劃の『ハーモニー』なんかは、論文やメモ書きのような形式で物語を進めていきます。
それって、最初に「小説はこうあるべき」って思ってると絶対出てこない発想なんですよね。
創作とは、知識と技術の上に成り立つ“反逆”なんです。
■ 「違和感」こそが想像力の種
創作をしていると、時々、「こんなの誰も読まないかも」とか「意味が伝わらなかったらどうしよう」って不安になることがあります。
でも、私はそういう“違和感”こそ、創作において最も大切にすべき感情だと思っています。
違和感とは、「今までの常識では測れないものに出会ったときの感覚」です。
それってつまり、“新しい”ってことなんですよ。
人間は、本能的に違和感を拒絶しがちです。
だけど、創作においては、その違和感こそが新しい価値を生む可能性の種なんです。
初めて『エヴァンゲリオン』を観たとき、多くの人が「意味が分からない」と戸惑いました。
初めて『千と千尋の神隠し』を観たとき、「なぜ両親が豚になったのか」明確な説明がなくて混乱した人も多かったでしょう。
でも、今ではそれらは「名作」として語り継がれています。
当時の“違和感”が、今では“魅力”になっている。
そう、創作において違和感は宝石なんです。
常識では測れないからこそ、作品は「唯一無二」になる。
■ 最後に──常識の外にこそ、君だけの世界がある
アインシュタインは、「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない」と言いました。
この言葉は、科学者としての彼の視点で語られたものかもしれません。
でも、創作の世界でもまったく同じことが言えます。
私たちは、今まで学んできたこと、教えられてきたこと、社会の中で“普通”とされていることを、いつの間にか「正しい」と思い込んでしまう。
でも、創作の世界では、その“正しさ”が時に邪魔になるのです。
君が描くそのキャラクターは、現実には存在しないかもしれない。
君が書くその物語は、誰にも理解されないかもしれない。
君が作るその音楽は、流行とは真逆かもしれない。
でも、それでもいい。
むしろ、それがいい。
“ありえない”の中にこそ、新しい世界はある。
常識という檻を越えて、自分だけの「偏見の外側」に飛び出してみよう。
そこには、君だけが見られる景色があるから。
✨創作は、常識を破る冒険だ。
だから、恐れずに。
「こんなのアリ?」って言われたら、「アリに決まってるでしょ!!」って胸を張ろう。
君の中にしかない世界を、私は楽しみにしてるよ。

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